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TransportNetwork管理人による、鉄道・交通関係・街おこしなどに関するブログ…のはず。写真関係は関連ブログにて更新しています。

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演劇、かんげきっ!

Last Edition−「さよなら、演劇部」

ミ:「全部、終わっちゃいましたね」
部:「うん…」
ミ:「最後の舞台、面白かったですよね」
部:「最後のはなむけになったと思うよ」
ミ:「…先輩、泣いてる?」
部:「あ、いや、その」
ミ:「分かりますよ、その気持ち。ある意味、先輩が一番大好きだった場所がなくなるんですからね」
部:「…うん」
ミ:「でも、最後に言ってたじゃない、「春だから何か始めよう」って」
部:「そうだね、新しいこと創めなきゃね」
ミ:「先輩ががんばらなきゃうちの会社は傾いちゃいますからね」
部:「うん、がんばる」
ミ:「先輩、これからもよろしくね」
部:「こちらこそ」

〜〜〜
最後の舞台。某横浜線沿線の会場まで見に行きましたよ。ネタというか、出来事はいろいろありますが、それはここでは語らずに内輪で話すことにします。

それにしても、私のいたころの演劇部の芝居とはスタイルというか雰囲気というか、そういうものが大きく変わっていましたね。しかも、よい方向に。何というか、そういうよい面での変わり方が芝居をより面白くさせていた気がします。成長すると大きく変わるもんですね。

その芝居。最後に「春だから、新しいこと始めよう」といったセリフが登場します。…まさにいまの私にぴったりですね(笑)。

〜〜〜
昨日書いた「人生の交差点でたまたますれ違った人」の話。
今日も今日とて、芝居の会場には当時の顧問の先生などがいらっしゃったわけですが、その時ちょっと思ったんですよね。「いま、たまたま同じ空間にいても、劇場の出口を出れば再び違う道を進むことになる」と。違う道をたどりながらも、たまたま出会った人々がまた違う道へ分かれて歩き出す。

「出会いの数だけ別れがある」ということは「別れの数だけ出会いがある」ということ。たまたま今日再会した人たちとは再び会う事は低い気がしますが、その代わり新しい人々との出会いが待っているわけでして。その、新しい人々と出合った時、また自分が変わるチャンスなのかもしれません。

演劇部。私が2年間いた演劇部。もう二度と戻ることは出来ないけれど、そんな演劇部には感謝の念でいっぱいです。そう思いながら、会場をあとにしたのでした。

〜〜〜
ということで、別れを告げなきゃいけないものに対してはすべて別れを告げてきたことになります。これからは、「新しい出会い」が待っていることでしょう。きっと、その出会いがまた私を変えるのかもしれません。本当に、ありがとうございました。

まあ、唯一心残りといえば、大切な友人へ謝ること…かなあ。もう、グダグダ言ってもしょうがないけれどね。

それでは。

久しぶりに演劇を見る。

部:「ミナミちゃん」
ミ:「…いつもその出だし…そろそろ読んでいる人がマンネリ化を気にし始めますよ?」
部:「…じゃあ、どうはじめればいいのさ?」
ミ:「呼び止めなきゃいいんでしょ」
部:「そしたら話がいつまでたっても始まらないでしょ。…あ、ミナミちゃんから私を呼ぶ、って言うのは?」
ミ:「…めんどくさいからやっぱり先輩から呼んでくださいな。で、今日は何?」
部:「昨日、キャラメルボックスの舞台の番組を録画しておいたんだけど、一緒に見ない?」
ミ:「…いいですよ」
部:「じゃあ、うちのスクリーンを使わせてもらうとして、夜ご飯を食べながら…ってことにしません?」
ミ:「うちの会社もいろいろありますねえ」
部:「ほら、昔演劇をやってたでしょ。その時の演劇とキャラメルボックスの演劇ってどこか通じるものがあるんだよねえ」
ミ:「なるほどねえ。先輩は本当に芝居好きですからねえ」
部:「…脚本を書いて見てもいいけれど、それが面白くなるかどうかは自信がない(笑)」
ミ:「まあ、先輩のことだからたいした話じゃないんでしょうけれどね」
部:「…それをいわないでくださいよ」

〜〜〜
そんなわけで、シアターテレビジョンで放映されていた「キャラメルボックスTV」を録画しておいたものを今日みました。放送されたのは「ミスタームーンライト」。登場人物の多くがなぜか茨城県の地名に由来していたりするんですが(しかも県南部…石岡だの鹿島だの竜ヶ崎だの取手だの…あと、結城・古河(役名では「ふるかわ」)なんて地名も出てきます)。
芝居って私にとってなんだろう、って考えることがあります。ある意味では「原点」なのかもしれないし、「通過点」なのかもしれないし。ただ、間違いなくいえることは「私を構成する1つの要素」ということ。鉄道やラジオと同じ「構成要素」。
一つ一つの芝居を作り上げるのは大変なことなんだけれど、「大変だからこそ」作り上げたときに出てくる強い思い入れというものが大切なのではないか。

最近めっきり芝居を見る機会を失っていたんですが(まあ、いろいろあったんで…苦笑)、久しぶりに芝居のよさを感じた一瞬でした。

〜〜〜
高校演劇って、けっこうキャラメルボックスの作品を利用して上演することがあるんですね。そのほかにも、他の上演団体が上演した脚本を使用させていただいたり、インターネット上で公開されているものを利用させていただいたりしているケースがあります(いずれも、上演許諾を求めています…ないとトラブルになることがあるそうで)。
私がいたときは原作で他の作品を使用してそれを舞台化したケースがありましたが、高校演劇でそういうことをするほうがまれで、一般的には既成台本を使うケースがありますね。
前述したケースだと、「銀河旋律」「広くてすてきな宇宙じゃないか」なんかが頻繁に使用されている気がします。

…もっとも、頻繁に使用されている場合、見ている側は同じ作品に複数回当たることがあるんですね。その時、たいていは先に見ているほうがすんなり受け入れられてあとから見るほうが「何か違う」なんてことになったりすることがあります。
以前、「スナフキンからの手紙」を上演したところがあって、その際の演出が先輩曰く「原作を上演した団体と演出手法が同じ」だったんだとか。その時はその程度でへ〜と思っていた程度だったんですが、後々調べるとこの芝居を上演したのはあの「第三舞台」(よくこの日記にも登場する大高洋夫さんのいる劇団。現在休止中)だった…なんて話もありました(先輩は第三舞台のステージを何らかの方法で見ていたんですねえ)。

〜〜〜
3番テーブルの客。三谷幸喜さんの同じ脚本を演出家の意向でいかに違う作品に仕上がるか、ということを痛感させられたテレビ番組がありました。もしかすると、「原作を見ていないほう」が、その芝居の解釈というものを先入観にとらわれずに作り上げられるのかもしれないですね。

そういえば、私がいた高校の演劇部は多分この春の公演が最後となります。最後くらい見に行こうかなあ…なんて思うんですが、去年3月の「喜多見事件」を思い出すと複雑な気分です。情報が流れてくれば行こうかなあ(笑)。

そんなわけで、いろいろな区切りがつく3月。新しいステップの構築と並行して区切りをつけに行くのもいいかもね。
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